左官の歴史と左官花嶋の主な出来事を年表にしました。

大和・飛鳥時代 4~7世紀 土工・白土師・石灰工と呼ばれる職業が登場する。
奈良・平安時代 8〜12世紀 奈良時代初期の壁工事は、主に白土(白粘土)が上塗りとして用いられる。

奈良時代の終わりから平安時代初期に土蔵が登場する。
鎌倉時代 12〜14世紀 屋内にものをしまうことが重要視され、火災に強い土蔵に変化する。
室町時代 14~15世紀 室町時代後期から茶道の発達に伴い数寄屋建築が登場する。

この頃からじゅらく壁などの素材が普及し、左官技術の土壁は、日本人の生活に深く浸透するようになる。
安土・桃山時代 16〜17世紀 この頃の民家は土肌のまま荒壁同然の仕上げで、本格的な色壁はまだ見られない。

桃山時代に鉄砲が伝来されると、この武器に対抗する厚い上壁で施工されるようになり、左官工事の需要が増大した。
江戸時代 17~19世紀 これまで米のりを入れていた高価な漆喰から、比較的安価な海藻のりを使った漆喰が登場し、耐火性・耐久性に優れた漆喰塗りが技術的に確立される。

宝暦6年(1756年)英国人のジョン・スミートンがセメントの基礎を発見し、翌年にレンガ職人のジョセフ・アプスディンがセメントを官製させる。
明治・大正時代 19~20世紀 明治8年(1875年)明治政府は、都市建設にセメントを必要とし、国産セメントを完成させる。

明治初期から左官業は全盛期を迎え建築業には無くてはならない業種になる。
昭和時代
昭和20年 第二次世界大戦中の空襲で、都市部では住宅が大量に失われた。

戦後、住宅難の中で質の低いバラックが大量に建設され、公団住宅など、大量供給型の住宅が造られた。
昭和30年 高度経済成長期

高度経済成長期に入ってからも住宅需要の増加は続き、木材資源の逼迫のなかで安価住宅を大量に供給することが求められ、モルタルや合板の利用が激増した。
昭和37年初代 花嶋利夫 浜松市中区三組町 松嶋左官へ親のすすめで弟子入り。自転車にリヤカーを連結させ浜松市内の現場を移動し、伝統工法の左官技術を親方から習得する。当時の木造住宅は小舞下地で荒壁を作ったり、現場で海藻を煮て漆喰を作ったりと、全てにおいてゼロからの仕事をこなしてきた。
昭和45年1970年代からはプレハブ住宅が普及し、住宅の工業製品化が進んだ。鉄骨構造や鉄筋コンクリートの住宅が増え、木造軸組工法の住宅にもプレカット材が使われるなど、近年の日本の住宅は伝統的な工法からは大きく隔たったものになっている。左官工事もコンクリートやモルタルを中心とした仕事が増大し土壁の家など左官の伝統文化は姿を消し始めた。

ジュラックス事業操業開始
昭和47年 ジュラックスC、金屏風 発売
昭和51年 松嶋左官で14年間の修行を得て30才で独立し浜松市中区馬込町で左官花嶋が創業した。当時高度成長期で住宅着工棟数も多く住宅バブル期を迎えていた。膨大な建築棟数をこなすため簡単に早く施工が出来るように材料が工夫され簡略化した工法が続々と開発された
昭和54年 8月に現.2代目の花嶋輝久 誕生。(利夫33才)

砂王 発売
京外壁 発売
昭和60年 建築物の簡素化がますます進み、ローコストのハウスメーカーの進出で地元建築会社が打撃を受けると同時に連鎖的に手間とコストがかかる伝統的な左官工事が現場から姿を消し初めた。この時期多くの左官職人が廃業に追い込まれ職人不足になり左官仕事がますます減少した。

この頃左官花嶋も左官工事の減少の波に打撃を受け業績が悪化する。そんな中、職人としての生き残りをかけ修行時代に習ったブロック積みや土間打ちの経験を活かし、事業内容に外構工事を加え左官工事と外構工事の2本の柱で事業を展開していく。(利夫39才)
昭和63年 珪藻土建材 開発
平成時代 平成6年 リンクストーン 発売
平成8年 花嶋輝久 高校を卒業後 職業開発訓練校 建築科に入学。

住宅の基本的な構造や建築の歴史、大工仕事について実技を含めて勉強。
(輝久18才)
チップロード 発売 
平成9年 訓練校建築科 3月卒業

4月 左官花嶋に左官見習いとして入社

この当時左官工事も全体の半分程度受注があったが年々外構工事の受注が増えていく。(輝久19才)
平成13年美ブロ 発売
平成14年㈱EM MAX 創業
平成15年輝久結婚

この頃外構工事の受注がさらに増大し拡大していく一方左官工事の受注は全体の一割程度に水位していた。

大手のハウスメーカーの外構工事を専属に請負、複雑なデザインや左官技術を用いた外構を得意としていた。(輝久23才) 
平成18年当時外構工事でお世話になっていた某左官施工店の社長さんのすすめで浜北左官業組合に入会した。

左官に関する専門的な情報を得ることで材料や工法の知識が増え仕事にじしんを持つ。多くの同業者と知り合える事で応援要請が可能となる。(輝久26才) 
平成19年知り合いの職人のすすめで当時爆発的人気が出た珪藻土の塗り壁材を一から勉強する為メーカーや展示会に出向き性能や工法を習得した。
(輝久27才) 
平成24年メーカーで開催している塗り壁体験会をヒントに一般の方を招いてオリジナルの壁塗り体験会を企画し、お施主様と一緒に施工するスタイルを提案して広く左官をPRしていく。(輝久32才)
  
(壁塗り体験会&説明会)
 
・道具のレンタルBOX
 
・オリジナルデザイン壁
 
・施主施工
 
「壁塗り体験会&説明会開催による販路開拓」で経営革新計画承認をうけた珪藻土の仕事が拡大し県外からも受注を受けた。
 
左官組合を通じて知り合った同世代の若手左官職人と交流を深め新たな左官について考える。
 
(ビジネスマッチング出店2回)
 
(初の自社イベント創業35周年感謝祭開催)
 
(法多山団子祭り 光る泥団子体験会出店2回)
平成25年左官花嶋2代目に輝久(33才)が受け継ぐ。

若手の左官仲間のすすめで「左官を考える会in金沢」に参加

全国の名工さんや若手職人と交流を深めハイレベルな仕事に衝撃をうける。新たな左官技術を学ぶ。

子どもの成長と仕事の増大に伴い事務所兼ショールームを建築し(創業39周年祭)を開催した。

左官を考える会で知り合った愛知県の名工、加村親方と出会い土と漆喰で作る卓上漆喰竈の講習会に参加する。

昔ながらの竈を現代の生活に活用出来る新たな形と機能性に惚れ竈製作の活動に力を入れる。(輝久33才)  
平成26年卓上竈の製作を着々とすすめ10月労福協祭りに卓上漆喰竈を展示、販売した。

漆喰竈を知った名坂さんからピザ窯製作の依頼があり試作が始まる。

左官を考える会の講習会で軽量で耐火性のある珪藻土レンガと出会いピザ窯製作で採用する。イベントで使用出来るように移動式にして軽量化を実現した。

(輝久34才)
平成27年ピザ窯初号機完成 新商品土の佐漆喰赤磨き完成 

小規模事業者持続化補助金「左官職人が魅力を伝える卓上漆喰竈と移動式ピザ窯による販路の開拓」で採択された。

左官時計試作開始
(輝久35才) 
令和時代令和元年
令和5年現在